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アイセロの挑戦 02 ボーセロン物語  「アイセロの未来をかけた戦略商品のサクセスストーリー」

自動車に使われる金属。金属と錆は切っても切れない関係がある。金属製品の錆は、外観上の問題だけでなく、品質低下をもたらし、時として重大な機能的欠陥に至らしめることもある。
その金属を錆から守る、そしてそれを輸送、保管する。こうした防錆包装は、昔からいろいろな方法がとられていた。
金属を油に浸ける、あるいは防錆剤が含浸された紙で包み、プラスチックフィルムなどで包装する。または包装する時点で防錆剤、乾燥剤などを同時に入れてシールするといった方法が一般的であった。
この「包装」と「防錆」という二つの工程を一つにして、袋に入れるだけで「防錆包装」を完了させることができる理想的な包装材、それが気化性防錆フィルム「ボーセロン」である。


第1章(昭和39年~)自動車メーカーへの納入開始

東京オリンピックがあった昭和39年(1964)、ある大手自動車メーカーは本格的に四輪自動車の製造に進出、それに伴い4万から5万点にのぼる部品を入れるための袋が必要となった。
当時、アイセロでは、東京営業所の佐野川和夫が自動車メーカー各社との取引を目指し活動していたが、なかなか思うような結果が出ずにいた。何とか取引につながる糸口を見つけようと模索していた中、その大手自動車メーカーの部品納入先である顧客にポリエチレン袋を納入していたことから、アイセロは信用のできる会社だと口利きをして頂けたことがきっかけとなり、遂にその大手自動車メーカーへのポリエチレン袋納入に成功。
佐野川の実直な仕事ぶりが、後に「ボーセロン®」の開発へとつながる足掛かりをつかんだ。

第2章(昭和43年~44年)防錆フィルムの開発

そのころ部品の包装は、錆を防ぐためにクラフト紙に防錆油を含浸させた防錆紙を使用し、それをポリエチレン袋に入れて二重包装をしていた。
ある時、「この二重包装をやめて、一重で防錆効果がある袋がほしいが、ポリエチレンで何とかならないか」と、当時その顧客を担当していた東京営業所の佐野川と河辺博行に持ちかけられた。
二人は早速、ポリエチレンフィルム製造をしていた豊橋工場へ試作を依頼。半年も経たずに防錆ポリエチレン袋の試作品が出来上がり、それを顧客へ持ち込んだ。
試作品を普通のポリエチレン袋に部品を入れたものと比較するため、二輪車や四輪車の海上輸送をしていた船の先端を実験の場として、数カ月間にわたりテストが行われた。
その結果、普通のポリエチレン袋に入れた部品は一面に錆が出ていたが、防錆ポリエチレン袋に入れていたものは全く錆びていなかった。


「これはいける!」

顧客は、この防錆ポリエチレン袋を直ちに採用した。これが今に至るボーセロンの産声を聞いたときであった。
お客様の現場の声を聞き漏らさず、その中からニーズを的確に捉え、要望を製品という形に変えて提案する。アイセロの提案型営業の原点はここにあり、そして今現在も、代々の先輩営業社員達により脈々と受け継がれている。

第3章(昭和44年~50年)「ボーセロン®」上市

ボーセロン
マーケティング基本方針

そのころ、アイセロは新たな方向性を目指し、組織改革を行った。その考え方など社長を補佐し中心となっていたのが、企画室長で創業者牧野新二の長男、次期社長となる牧野亘宏であった。
牧野亘宏は、この新しい防錆ポリエチレンという商品に着目し、社内募集により「ボーセロン®」と命名。アイセロが“包む”という役割を深く研究し、開発した戦略商品として位置づけ、昭和44年(1969)12月に新聞発表した。翌45年3月には、社内報の経営方針特集号にも取り上げるとともに、企画室において「ボーセロンマーケティング基本方針」と題する企画書を作成。以後、この方針のもとで戦術展開されることになった。

同年6月には、生産、販売、技術等一貫した体制強化を目的に、「ボーセロンプロダクトグループ」を結成。メンバーに基本方針を説明した。
この基本方針の内容には、マーケティングポリシーとしてつぎの3点が掲げられていた。
  1. ボーセロンはアイセロ独自商品である。
  2. ボーセロンの持つ機能を充分理解し、責任を持ってお客様に対す。
  3. 品質最重点の政策を中心に、価格政策、流通経路政策、内部管理システム等基本方針に沿って、ねらいを明確に、最重点的に活動を推進すること。

 担当者のこの心構えが、新しい商品の未来を決定づけるものであろう。
 

ボーセロン110-X

この基本方針を受け、プロダクトグループの技術サービススーパーバイザーであった間人健一を中心に、防錆剤の改良に着手。薬品メーカーとの共同研究により特許を出願し、「ボーセロン110」を開発した。
営業担当だった河辺は、当時を振り返ってつぎのように語っている。
「お客様にとっては、これをやることで大きなコストダウンにつながっていたんじゃないかな。当時から、錆に関するクレームは特にありませんでしたからね」
だが、技術スタッフとしては、これはまだ満足できる品質の製品ではなかった。その後、防錆効果を高めるため自社で防錆剤を開発。添加剤を3倍に増やし、その後の長年のメイン商品となる「ボーセロン110―X」を完成させた。

第4章(昭和51年~55年)市場開拓初期―横展開の不調―

こうして「ボーセロン®」は、顧客との関わりを深めながら納入を進めていった。その一方で、自動車業界全体への売り込みのハードルは高く、新規ユーザーの開拓は難しい状況が続いた。
しかし、昭和53年(1978)、自動車業界の包装事例発表会において「ボーセロンを使用した包装事例」が発表されると、これ以降徐々に自動車業界にその機能と実績が認められ、浸透していくことになった。

第5章(昭和56年~)需要の転機

昭和56年(1981)、大きな転機が訪れる。

自動車大手各社が海外での生産活動を積極的に展開する中、昭和56年に日本の自動車メーカーとして初めてアメリカで四輪自動車の現地生産を開始した。生産には、部品を日本から輸出するノックダウンと呼ばれる方式を採用した。

ノックダウン包装

これより前の昭和51年(1976)、アイセロは「ボーセロン®」をはじめとする純正部品袋の納入を行うとともに、さらに緊密な取り組みを進めるため、顧客の包装・物流改善テーマに積極的に参加していった。
その中心となっていたのが、所長であった丸山義詮であった。丸山は、顧客の動きをいち早く理解し、アメリカ現地工場立ち上げテストに本社技術スタッフとともに参加。ノックダウン生産開始による組立部品、補給部品包装用ボーセロンを供給した。

ノックダウン生産とは主要部品を日本から輸出して、現地で組立、販売する方式。それまでの補給部品とは異なり、大量に、効率良くかつ安価な輸送を必要とした。日本の工場と海外の工場が同じライン上にあるという認識で行なうものである。
アメリカでの四輪自動車の生産開始後、大型袋やシート品の需要が増えると、アイセロの「ボーセロン®」の生産、販売実績も順調に伸びていった。

第6章(昭和60年~)製品ラインナプの充実

この頃になると、「ボーセロン®」は他のほとんどの国内自動車メーカーへ採用されていった。
ノックダウン化が進み、供給部品の多様化とともに、「ボーセロン®」に対する需要も多様化し、自動包装用や、銅、鉄両用タイプ、とりわけ鋳鉄用の開発が重要な役割を果たした。さらに、他素材との複合品などの開発にも成功した。
また、アイセロでは従来より、営業、研究・技術スタッフ、セールスエンジニアが一体となって販促活動を推進。実際に使用する担当者の立ち会いのもと、部品を使用する環境下で防錆テストを行い、信頼関係を深めている。さらに、お客様のニーズをいち早く把握。トータルな防錆システムの開発・提案に積極的に取り組んできた。こうした生産、販売、技術の一貫した体制は、昭和45年(1970)以来、変わることなく続けられている。
これまでの自動車業界での実績は、こうした研究開発、生産技術が一体となった緻密なチームワークから生まれたもので、現在では大型機械包装や鉄鋼コイル包装へ、地域も日本国内から世界各国へと需要を拡大している。

第7章 将来に向けて

開発に携わった間人健一は語る。
「『ボーセロン®』は、お客様に育てられ、お客様とともに成長してきた」
「『ボーセロン®』はまさしく『市場は小さければ小さい程よい』の商品そのものだ」
「第二、第三のボーセロンをつくるには、5年先、10年先の未来から見なければいけないだろう」


また、河辺博行は今後の商品開発、市場開拓についてこう語った。
「これだけ情報が多くなってきているけど、やっぱり現場のカンが大事なんじゃないかな」

「ボーセロン®」は“包む”役割を深く考えた包装革命商品。アイセロの経営思想そのものの商品。
お客様の要望とそれに対応した製品、包装形態の提案――まさしく、「ボーセロン®」は「市場は小さければ小さいほど良い」を代表している。

そして、私たちアイセロは、これからも第二、第三の「ボーセロン®」の開発を目指して挑戦し続ける――。

佐野川和夫(さのがわ かずお)

昭和22年 入社
昭和41年 東京営業所課長
大阪営業所長、豊橋営業所長を歴任後、(株)愛知不動
平成8年退職

河辺博行(かわべ ひろゆき)

昭和36年入社
昭和39年より東京営業所
昭和55年 東京営業所長
平成6年より(株)愛知不動
平成17年退職

間人健一(はしうど けんいち) 

昭和39年入社
昭和45年 ボーセロンプロダクトグループ
環境マネジメント室長、研究室長を歴任
平成17年退職
 

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